東の東大寺に対する西の西大寺。東大寺を建てた聖武天皇の一人娘、称徳(孝謙)天皇によって西大寺は建てられました。
この称徳天皇は叶わぬ恋をした悲しい女性で一生結婚することなく生涯を終えられました。西大寺は彼女が恋に燃え上がっていた頃に建てられたお寺なのです。
東大寺を築いた聖武天皇は男の子に恵まれず、一人娘である孝謙天皇が皇位を継ぐことになります。でも、女性が皇位に就くことを快く思わない皇族や貴族が反乱を起こすので、数年後皇位をいとこの淳仁天皇に譲ります。上皇となった彼女はやがて重病になるのですが、その看病にあたったのが僧の道鏡。熱心な看病、大陸の最新の学問に通じサンスクリット語にも堪能なこの道鏡に彼女は心を寄せます。
その後、彼女は道鏡と仲むつまじく語り合っているのを淳仁天皇に責められます。「一介の僧侶と語らうなんて何事か」と。それに怒った彼女は「暴言を吐き、無礼を働いた」とし、淳仁天皇から皇位を剥奪、再び称徳天皇として皇位に就きました。(それだけが理由ではなく淳仁天皇が貴族に影で操られていたからなのですが)
称徳天皇は、道鏡を一介の僧侶ではなく自分と対等にすべくどんどん出世させ、平城京の西に父の東大寺に匹敵する大寺院を建立し道鏡を事実上のトップに据えました。それが西大寺です。彼女は身分の差を無くせば愛しい道鏡と結婚できると考えたとも言われています。これで仏教を発展させ天皇の後継者を決めるという彼女の任務は一気に果たされるはずでした。
その後、称徳天皇は道鏡を法王という仏教界のトップにし、身分がつり合ったところで結婚して道鏡を天皇の跡継ぎにしようと考えます。そして、神の判断を聞くべく宇佐八幡の神託を受けるのですが、皇族の血筋でない者を天皇にするのはさすがにまずいということで貴族たちが裏工作をして神のお告げは「ノー」とでたと報告。称徳天皇は、この裏工作を察知していたので一度は激怒しましたが、反対者が多いのにこのまま押し通せば国が乱れると思い、道鏡と結ばれることなく翌年平城京にて病で亡くなられます。享年52歳。 |
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近鉄大和西大寺駅から徒歩2~3分の所にある西大寺の境内は、外からは想像できないほど広々としています。 |

西大寺は本堂ではなくこの四王堂が最初に建てられました。貴族の反乱が鎮まることを願ったものです。中にある巨大な十一面観音立像(重文)は迫力あります。 |
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