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おでかけ るぽは、旅やおでかけに関する情報をルポルタージュ(現地報告)する旅のクチコミサイトです。 |
※お急ぎの方は下記のリンクをお使いください。歩くルートを見たい方はこのままお進みください。
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ここからは東大寺をさらに深く見ていきます。
二月堂・三月堂は基本編に入れたいところなのですが時間的に厳しいので。 |
大仏殿を囲む回廊の右横に石段があり
二月堂・三月堂方面へ行くことができます。 |
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石段を登るとまず目に入るのが
鐘楼(しょうろう)です。
鎌倉時代に再建されたものですが
鐘楼としては現存最古。
そしてそこには梵鐘(ぼんしょう)が
釣られていますが、
これは奈良時代のもので
国内最大の釣鐘です。
日本三名鐘のひとつにもなってます。
ここも人はまばらですが、
鐘楼・梵鐘ともに国宝ですよ。 |
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鐘楼の横にある行基堂。
江戸時代初期に建てられたと
考えられているようです。
行基は奈良時代当時、
逃亡して重い租税から逃れようとする
国民に対し仏の功徳を説いて
自発的に大仏建造に参加させた
カリスマ的存在であり
大仏建造に
なくてはならない人でした。 |
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お堂の中にある
行基菩薩坐像。
江戸時代のものです。 |
上院地区
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鐘楼からさらに進むと石段の参道先に三月堂が見えてきます。 |
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ちなみにこれは二月堂から
大仏殿裏に続く道。
日本情緒溢れる参道ですが
こちらは裏参道になります。 |
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三月堂に向かう石段の途中
左に行く石段の先に開山堂があります。
平安時代末期の建物で国宝です。
ここは東大寺初代別当
良弁(ろうべん)僧正を祀っています。
中には良弁が実際に使っていた如意(にょい)
を手にした像がありますが
これも国宝。
通常は入れませんが
良弁僧正の命日12月16日のみ
特別開扉されます。
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三月堂です。
三月にここで法華会が行われたので
法華堂(ほっけどう)とも三月堂とも言いますが
正式には羂索堂(けんさくどう)と言います。
ここの本尊は不空羂索観音像。
国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)という、
創建当時の大仏を設計・デザインした人の作なんですよ。
この中には他にも、有名な日光・月光菩薩像や
四天王像、四天王の上司の帝釈天・梵天像など
すごい面子が揃っています!
また本尊の背面には12月16日のみ特別開扉される
執金剛神立像(国宝)が安置されています。
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この三月堂は最古の日本式仏堂で
東大寺のなかで最も古いお堂です。
写真を見ても分かると思いますが、
左側と右側の屋根の色と形が違いますね。
左側が正堂で奈良時代、
右側が礼堂で鎌倉時代の建築で、
後に一体化されたものだそうです。 |
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三月堂のすぐ隣には二月堂があります。
旧暦の2月に修二会(しゅにえ:お水取り・お松明)
が行なわれたのでこう呼ばれます。
ここの本尊は十一面観世音菩薩という秘仏で
東大寺の僧ですら見ることは許されないそうです。
この二月堂は平安時代、戦国時代の
2度の戦火を逃れたのですが、
1667年の修二会で火災が起こり焼失してしまいました。
現在の建物はその2年後、幕府の援助で再建されたもの。
2005年10月末に国宝となりました! |
ここからは奈良市が一望できて
本当に良い景色です!
拝観された方はみんな
二月堂を好きになると思いますよ。 |
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また、ここは夕日の名所でもあり、
生駒山脈に暮れる夕日は
とてもきれいです!
夕暮れ時になると
カメラマンが
集まってきます。 |
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二月堂の脇には休憩所があって
誰でもお茶をいただけます。
夏は冷たい、冬は暖かい
お茶が用意されているんです!
しかも無料です。
疲れたらここで休憩。 |
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続いて四月堂。
毎年4月に法華三昧が行われるので
四月堂と言われますが、
三昧堂が正式名称です。
こじんまりとしたお堂ですが
室町時代の建物で重要文化財です。
本尊は千手観音立像で
こちらも重要文化財。 |
三月堂の南側にある経庫(重文)。
正倉院で有名な校倉造(あぜくらづくり)の倉庫です。
校倉造の建物は奈良・平安時代の官庁や大寺院には
必ずあったものだそうですが、
現存するのは、こことすぐ南にある手向山八幡神輿庫、
正倉院、唐招提寺にあるものの4棟のみです。
石塔は御髪塔と言って、
ここには大仏殿の再建で使用された
黒髪のロープが埋まっているようです。
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これで上院地区はおしまいです。裏参道を通って大仏殿へ |
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大仏殿の裏側を過ぎて進むと左に戒壇院の入口があります。
←裏口ですがこの階段です。
もともとは大仏殿前にあったのですが
大仏殿西側に移されました。1731年再建で重要文化財。 |
当時、租税が免税される僧になるには
国から正式に認められる必要がありました。
そのために受戒(正規の僧となるため戒律を授ける)していたのが戒壇院です。
戒壇院で受戒した僧の中には
最澄や空海もいたそうです。 |
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少し離れた所にある転害門(てがいもん)です。
平城京の佐保路に向かって建っているので佐保路門とか、
平景清がこの門に隠れて源頼朝を狙ったことから
景清門とも呼ばれています。
これは奈良時代創建当時のもので国宝です。
奈良時代の門で残っているのは
この転害門と法隆寺の東大門のみですごく貴重です。
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転害門の向こう側には
当時の土塀が少し
残っています。 |
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上の写真のように
かつて大仏殿の両脇には
七重塔がありました。
現在の西塔跡・東塔跡には
残骸がかすかに残って
いるだけです。
興味のある方だけ
見てみてください。 |
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また新しい発見があれば追加していきます。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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(癒しの古刹) |
(奈 良) |
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